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ラブストーリー

投稿日: 2023年2月9日 投稿者の:

バレンタインデーの由来は、中世のフランスで鳥を観察していた人たちが、鳥は2月中旬に交尾を始めると考えたことに始まります。そこで、彼らはこれを2月14日という正確な日付にしたのです。この他にもいくつかの伝説がありますが、実際の由来はともかく、2月14日は私たちにとって「LOVE」のための日なのです。

次にあげるのは本当の物語です。

私はこの話を、京都で開催された台本のない真実の物語イベント「FLAME」で初めて話しました。
これは編集されたバージョンです。
オリジナルの未編集のビデオはYouTube<https://www.youtube.com/watch?v=2bgetD8QSHs >で見ることができます。

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私がまだ5歳にもならないうちに、父と母は別居しました。それ以来、母と兄、姉、そして私の4人家族でした。
誕生日を一緒に祝い、クリスマスツリーを一緒に飾ったのも私たち4人。
そして、小さな台所のテーブルを囲んで食事をするのも、この4人だった。

1920年頃のヤギ車 1920

私が一番好きな食事は、日曜日の朝食で、もちろん当時はまだブランチという言葉は国境を越えてブロンクスに伝わっていなかったし、クレープも冷えたフルーツカップもなかったし、エッグベネディクトなんて聞いたこともなかった… そもそもそれって誰?

でも近所のドイツ系パン屋で買った温かいパンやゼリードーナツ、ストーブの上に置かれた背の高いパーコレーターポットから淹れたてのコーヒーの心地よい香りが台所を満たしていた。そして、私たちには時間があったし、何よりもお互いに助け合っていたのです。

このようなゆっくりとした朝食の時間に、私たちは母に「昔話」を聞かせてもらったものだ。
「昔話」というからには、私たち子供が生まれる前のセピア色の時代に起こったことでなければならない。
母は何度も何度も同じ話をし、私たちは飽きることがなかった。
兄弟姉妹が荷車にヤギをつないで、庭を走り回った話もあった。田舎のいとこたちが、豚を屠殺し、塩漬けにして、樽に詰め、都会の親族にお歳暮として送るという話もあった。
父が樽をこじ開けたとき、豚の頭がじっとこちらを見ていたことを思い出すと母は微笑んだ。

16歳半で高校を中退し、大恐慌の時代に家計を助けるために働かなければならなかったこと、その時にイタリア系アメリカ人が経験した偏見を避けるために、自分の名前をエルヴィラ・チャラメルから民族的に識別しにくいヴェラ・カーメルに改名したことを話してくれました。そして、彼女はマイクのことを話してくれた。

これと似たような飛行機でマイクは母に操縦を教えた。

マイクは、私の母の初恋の人でした。もちろん、私はマイクに会ったこともなければ、彼の写真を見たこともありません。彼の名字さえ知らない。しかし、母が私たちにマイクの話をするとき、彼女は遠い眼差しで、声は柔らかく、気まぐれで、しかしながら憂いを帯びた音色であったかもしれないことを伝えたのでした。マイクは飛行機を操縦することが出来たので、彼は私の母に操縦の基本を教え、二人は乗馬やピクニックに出かけ、若い恋人たちが笑うようなことを笑い合いながら母とマイクは深い恋に落ちていました。そしてマイクは母にプロポーズしたのです。

乗馬服姿のママがおじいちゃんとポーズ。1937年頃

母は両親の許可を求めましたが、両親の答えは「ノー」でした。彼らが “ノー “と言った理由は簡単です。あなたは気に入らないでしょうし、同意もできないでしょうが、おそらく理解できるはずです。私の母は、先ほども言ったようにイタリア人でしたが、もっと重要なのは、彼女はローマカトリック教徒で、マイクはユダヤ人だったということです。1937年に宗教の違う人と結婚することは、ほとんど前代未聞でした。だから、母はマイクに別れを告げなければならなかったのです。
もし、あなたが愛する人に別れを告げなければならなかったことがあるなら、それがどんなにつらいことであるか理解できるでしょう。母は詳しいことは話しませんでしたが、最後に二人でドライブに行ったときのことを話してくれました。運転中、マイクは黙っていた。最後に母が「どこへ行くの」と聞いた。 マイクの答えは、「駆け落ちするんだ」

マイクの車 1937年製フォード

母はまだ21歳で、厳格な姉と5人の兄、そして威厳のある母に逆らえるほど強くはなかった。”マイク、車を戻して “と彼女は言った。「私はあなたを愛しているし、あなたも私を愛している。私たちは一緒にいるべきなのだ」とマイクは言った。二人は口論になり、母はヒステリックになった。ついに母はドアの取っ手を掴み、「今すぐ車を戻さないと、飛び降りるわよ!」と言い放った。

子供の頃、これを聴いて、驚きました。疾走する馬、空を飛ぶ飛行機、そして今度は疾走する車……超カッコイイよ、ママ!

私はこの話を脚色して、母は車には乗っていなくて、カナリアイエローのデューセンバーグ(アメリカの超高級車)のドアの踏み板に乗って、窓の柱に腕を回し、髪とスカーフを風になびかせながら、唸るエンジンに抗議の声を上げてる母を想像したのです。

結局、マイクが車(フォード)を回転させてヴェラを家に連れ戻して、それでおしまい。二人の関係は終わってしまいました。これは1937年ごろに起きたことでした。

1994年、私はちょうど家族に会いに帰国していました。姉の子供達は今夜みんな出かけるので、私と母と姉の3人(兄はすでに他界) で話しをしようということになったのです。
そこで私はマルガリータをピッチャーいっぱい作り、私たちは座って、もちろん昔話に花を咲かせました。

しかし、世代交代がかなり進んだので、私や姉の子供の頃の話も昔話になりました。私達のおしゃべりは延々と続き、涙あり笑いありで家族の絆の素晴らしさや単純さを感じていました。

私は母に、「マイクはどうなったのか、気にならないの?」と聞いた。突然の質問に自分でも驚いたが、母は動揺することなく、マイクの物語を淡々と話してくれた。「戦後、マイクは結婚して二人の息子をもうけ、彼は航空貨物の会社を立ち上げ飛行機を6機ほど持っていて、そこそこ成功しました。今は引退して、ウエストチェスター郡に住んでいます」。

私は唖然とした。「マイクがどこにいるか知っているの?」と聞くと、「まあね。何年もの間、複数の友達から風の便りで少しずつ聞いているのよ”」と言った。

70代に突入してる彼女は何気なく言った。「時々、マイクに電話するわ」。えーっ‼︎「6ヶ月前に彼に電話したの」私は唖然とした。「本当にマイクに電話したの?なんて言ったんだい」するとここでママの目が柔らかくなり、声も柔らかくなり、「あら、何も言ってないわよ…… 私は何も言わないわ……ただ彼の声が聞きたかっただけ 」と言ったのです。

私たちは少しの間、沈黙した。
「彼は何か言ったの?」と私は聞いた。
「彼はハローと言ったわ 。私は電話を耳に押し当てて聞いてたの。彼がどこにいて、何をしているのかが分かったの。電話の向こうにいる彼を抱きしめたわ。」
そして長い沈黙の後彼は「ヴェラ…… 君なのかい?」

 

コメント

  1. 和美 より:

    ふと先生はお元気にされているかな…と思い出し検索したところ、素敵なblogに辿り着きました。お元気そうでなによりです!またお会いしたいです^ ^ そう言えば、大学生の時に、先生のお姉様が大学に遊びに来られていて、先生は授業があるからと、先生のお部屋でお姉様と2人きりでお話をしたことを思い出しました。英語がろくにできない私でしたが、お姉様は凄く優しかったです。あの頃が懐かしいです^ ^

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